東京・足立区で育った幼少期
1982年、東京都足立区に生まれました。
50cm、3000g。まさにピッタリ賞!
日の出とともに生まれたことから、暁臣と名付けられたそうです。この名前の本当の由来を知るのは、もう少し先のことになります。
三兄弟の真ん中として育ちました。
10歳離れた兄は、僕が小さい頃はヤンチャな時代、18歳で家を出てしまったこともあり、記憶に残っているのは、胸ぐらをつかまれて体が浮いていたことくらいです(笑)。
5歳下の弟とは仲良く過ごしていました。
母からは、あるとき「実は、あなたの前にもう3人いたんだよ」と聞かされたこともあります。
なので思うと、僕は母にだいぶ可愛がられていた気がします。
目がくりくりしていて、こぼれ落ちないか周りが心配するほどだったとか。女の子に間違えられることもあったそうです笑
家の近くには公園がたくさんあり、荒川の河川敷も身近な遊び場でした。
犬の散歩をしたり、外で遊んだり。とにかく外で過ごすことが多い子どもでした。
中でも夢中になっていたのがサッカーです。
通っていた幼稚園にはサッカー教室がありましたが、入団できるのは年長から。
僕は年少の頃からサッカーがしたくてたまりませんでした。
毎日、夕方6時に門が閉まるまで園庭に居続け、とうとう園長先生が根負けして入団を認めてくれたそうです。
教室がない日も、壁に向かって暗くなるまでボールを蹴っていました。
今思えば、この頃からかなり頑固だったのかもしれませんね。笑
好きなことには、とことん夢中になる。
そんな子ども時代でした。
スポーツ刈り、そろそろ卒業したい!
小学生の頃、髪を切ってくれていたのは、近所で床屋を営んでいた親戚の叔父さん。
いつもされるがままにスポーツ刈りでした。
前かがみでのシャンプーは溺れそうになるし、顔剃りはゾクゾクする。でも、帰りには飴がもらえる。そんな床屋さんでした。
小学4年生くらいの頃、初めて「髪を伸ばしたい」と伝えました。
ところが、その日も結局スポーツ刈りに(笑)。
当時、テレビではカズやラモスといったサッカー選手が活躍していて、「スポーツしてるのに、全然スポーツ刈りじゃないじゃん!」と思ったのを覚えています。
別に同じ髪型にしたかったわけではなく、ただ単純に、自分も髪を伸ばしてみたかったんです。
それをきっかけに床屋を卒業し、母が通っていた美容院へ行くようになりました。
吉田栄作カットですね笑
サッカー少年の、もう一つの習い事
活発な性格でいつもみんなの輪の中に居て、いわゆるガキ大将でした。
小学校時代はピアノを習っていたのもありサッカー部に所属しながら、吹奏楽部も兼任。
6年生までは辞めてはいけなく当時はピアノが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
発表会に行っても、数百人の中で男の子はたった数人ほど。
ガキ大将がピアノを習っていることがバレたらなんて、素直に楽しめなかったんです。
毎週土曜日、みんなが遊んでいる中、こっそり帰ってピアノのお稽古に通うのも嫌でした。
今では習っていてよかったと思えますが、当時の自分にとっては、バレないかヒヤヒヤした習い事でした。
サッカー漬けの3年間。そして、髪型に泣いた中学時代
中学は、サッカー仲間がみんな隣の中学校に進学するということで、僕も越境して通うことにしました。
そこからの3年間は、ひたすらサッカー漬け。
仲間にも恵まれ、さまざまな大会で優勝することもできました。
今でもずっと付き合いのある、大切な友達です。
一方で、時代はまさに「平成」。
男の子たちの間でも、髪型やファッションへの関心が高まっていった頃でした。
夏休みだけでも茶髪にしてみたくて、コーラやビールを頭にかけてみたり(笑)。
ドラッグストアで、霧吹きのように吹きかけると数時間で脱色できるという商品を買ってみたり。
髪が伸びるという「2001」のシャンプーが流行ったり(笑)。
心当たりのある方、いますよね?w
そして、男の子たちの髪型といえば、堂本剛さんのもみあげ!
みんなもみあげを伸ばして、ジェルで細くまとめていました。
あれ、刺さりましたよね(笑)。
あとは、ウルトラマリンの香水!
懐かしいなぁ(笑)。
ちなみに僕は、サラサラの真ん中分けだったと思います。
そんな、異性の目も気になり始める中学生時代。
ある日、家庭科室で足を引っかけられ、椅子の角に頭をぶつけてしまいました。
これが、なかなかの大事件に。
頭から出血し、シャツが真っ赤になるほど。結局、そのまま病院へ行って縫うことになりました。
そして、悲劇はそのあとに起こります。
傷を処置するため、髪を勝手に剃られてしまったんです。
しかも、思いっきりハゲ!
けっこう大きめのハゲです(笑)。
異性を意識しながら生きている中学生にとって、これは一大事。
ケガの痛みなんて一瞬でどうでもよくなり、頭の中は「明日からどうやって生きていこう……」でいっぱいでした(笑)。
先生からは「帽子をかぶっていいよ」と言われましたが、それも違う気がする。
逆に気にしているのが丸わかりじゃないですか
結局、ガーゼが丸見えのまま過ごし、髪が生えそろうまでは苦労しました。
でも、今振り返ると、この出来事は自分にとって大きな経験だったと思います。
髪型って、見た目だけの問題じゃない。気持ちまで変えてしまうくらい、大切なものなんだ。
それを初めて実感したのが、この中学時代だったのかもしれません。
ギャル男全盛期。なのに、黒髪・眉上・耳上!
高校は「電車で通うような遠いところに行きなさい」と母に言われ、片道1時間半ほどかかる学校に通うことになりました。
選んだのは、私立のサッカーの強い学校。
中学時代にサッカー漬けの日々を送っていた僕にとって、サッカー部の強さは学校選びの大事な条件でした。
時代は、ギャル・ギャル男全盛期。
高校生になったら髪も自由だろうし、いろいろ楽しめるんじゃないか!
……と思っていたら、それは都立高校の話。
私立高校は、そんなに甘くありませんでした(笑)。
黒髪、眉上、耳上。
見事に三拍子そろった髪型です。
髪型は自由になりませんでしたが、日サロは通い、それなりに当時の流行に乗っかってました(笑)。
男子には男子なりの「制服の着こなし」もありました。
他校のカバンに、バーバリーのマフラー、ラルフローレンのカーディガンなんて時代。
そんな組み合わせがお手本のようなスタイル。
ちなみに僕はブレザーでしたのでネクタイをちゃんと締める派でした。
当時は読者モデル、いわゆる「読モ」も流行っていました。
池袋、新宿、渋谷と毎日通学で通るのである日、友達と歩いていたら写真を撮られたこともあります。
「もしかして、雑誌に載るのかな?」
なんて思っていたら、大きく載っていたのは一番かっこいい友達だけ。
僕は隅っこに、ちっちゃく(笑)。
今となっては、いい思い出です。
髪の毛って、大事だな……。
高校時代にも、髪の毛にまつわる事件がありました。
教室で、友達がカバンの中でZippoにガスを入れ、火をつけたんです。
僕は、その様子をのぞき込んでいました。
すると、ガス漏れが起きたらしく、一瞬、天井まで届くほどの火柱が上がったそうです。
結果、まつ毛と前髪が燃えました(笑)。
チリチリです。
しかも、焦げ臭い。
いや、笑い話にしていますが、なかなかの出来事でした。
中学時代には、ケガで髪を剃られて大ショック。
高校時代には、前髪とまつ毛が燃える。
振り返ると、僕は髪の毛に関する事件が多いですね(笑)。
でも、髪型ひとつで気持ちが変わることは、中学時代に身をもって経験していました。
見た目が変わると、自分の気持ちも変わる。
髪の毛って、やっぱり大事なんだな。
そんなことを、何度も実感していた学生時代でした。
将来の夢は、いつしか教師に。
高校時代、もう一つ大きな影響を受けた人がいます。
中学時代のサッカー部の顧問の先生です。
その先生は、まさにドラマ『GTO』に出てくるような、体当たりで生徒と向き合うタイプ。
口だけではなく、自分も一緒に行動してくれる。
言うことは厳しいけれど、不思議とスッと身体に入ってくる。
そんな先生でした。
その姿に感化され、いつしか僕も教師になりたいと思うようになっていました。
高校は大学の附属校だったので、このまま内部進学するのかな。
将来は教師になるのかな。
そんなふうに考えていた頃です。
高校3年生、見てしまったんです。
そう、ドラマ『Beautiful Life』。
主演は、あの木村拓哉さん。
そりゃ、かっこいいですよね(笑)。
美容師って、かっこいい。
モテそう!
そんな憧れが、一気に膨らみました。
それまで教師を目指そうと思っていたのに、ここで突然、美容師という仕事に心を動かされます。
そして僕は、全日制の美容学校へ進むことを決意しました。
誰かに相談して、じっくり考えて……というタイプではありません。
この辺の事はあまり覚えてなくて…なんだろ
勝手に推薦試験を受け、合格してから親や学校に事後報告(笑)。
なかなか思い切ったことをしたものです。
もちろん、父は大反対。
「女の尻追っかけるような仕事だろ!」
当時の父からすると、カリスマ美容師という存在は、そんなふうに見えていたのでしょう。
父は堅い職業に就いていたこともあり、僕の突然の進路変更は、簡単に受け入れられるものではなかったと思います。
そんな中、母がこっそり入学金を払ってくれました。
そして、たった一言。
「あとは自分で認めさせなさい」
多くを語らず、背中を押してくれた母。
今思えば、あの一言は大きかったと思います。
こうして、附属校からそのまま進学するはずだった僕の進路は、大きく変わりました。
楽しかった高校生活も、いよいよ卒業式。
そして、その翌日。
速攻で髪を染めました(笑)。
高校時代は黒髪・眉上・耳上の三拍子。
ようやく、その制限から解放されたわけです。
今振り返ると、教師を目指していた自分が、美容師になると決めるまで、本当に突然の展開でした。
立派な志が最初からあったわけではありません。
きっかけは、憧れ。
でも、その憧れが、自分の人生を大きく変えることになりました。
美容学校に入学して、わずか3日目。
いよいよ、美容師人生の第一歩。
新設校の2年目ということもあり、校舎や設備はきれいで整っていました。
ところが、入学してわずか3日目。
先生から思いもよらない言葉をかけられます。
「君……辞めるなら今だよ」
理由は、僕があまりにも不器用だったから。
周りには、少しでも美容師に興味を持ち、自分の意思でこの世界に入ってきた人たちがいました。
一方の僕は、ドラマ『Beautiful Life』を見て、キムタクがかっこいい、美容師ってモテそう!という理由で進路を決めた人間。
家にはヘアゴムのひとつもありませんでした。
母はショートカットだったので、髪を結ぶ機会すらなかったんです。
そんな自分が、いきなり美容の専門学校に入ったわけです。
「あっ、ヤバいな……」
正直、そう思いました。
自分はサッカーばかりやってきた人間。もしかしたら、ここは自分がいる場所じゃないのかもしれない。
周りにはきれいな子やかわいい子もたくさんいましたが、そんなことを気にしている余裕もありませんでした(笑)。
専門学校は、毎日7時間目まで授業があり、課題もたくさん。
しかも、授業の進みがとにかく早い。
できなくても、待ってはくれません。追試にもお金がかかります。
そんな状況に悩み、母が通っていた美容院の「わかおばちゃん」に相談しました。
すると、こんな言葉が返ってきました。
「わかってたよ、ここに来た時から。お母さんにも言っておいたんだけどね。それでも背中を押してくれたんだから、頑張んな」
自分の不器用さも、簡単な道ではないことも、周りの大人たちはわかっていたんですね。
さらに、お盆に床屋を営んでいた叔父さんに会ったときにも、こんな言葉をもらいました。
「お前は人の3倍やって普通、5倍やって上手だ」
この言葉も、当時の自分には大きかったと思います。
とはいえ、学校の勉強だけをしていればいいわけではありません。生活のためにはアルバイトもしなければならない。
勉強もしたい。バイトもしたい。遊びだってしたい。
全部やりたいけれど、とにかく時間がない。
自分にあるのは体力くらい。だったら寝ないで頑張るしかない。
そんな毎日を過ごしていました。
そうしているうちに、学校を辞めていく人も一人、また一人と出てきました。
入学早々、先生から「辞めるなら今だよ」と言われた自分。
それでも、なんとか食らいついていました。
大変だったはずなのに、振り返ってみると、なんだか楽しかったんですよね。
一緒に頑張る友達にも支えられていた気がします。
最初から器用だったわけでも、明確な目標を持って入学したわけでもない。
そんな僕の美容師人生は、こうして始まりました。
自分の「好き」が、自信に変わった。
高校2年生のとき、家族でハワイへ行きました。
そこで目を奪われたのが、地元の金髪のサーファーガール。
当時の自分にとって、ただ派手でかっこいいというだけではなく、どこか美術的な美しさを感じたんです。
美容師という仕事には、自分の中にある「かっこいい」「かわいい」「きれい」を表現する面があります。
僕は、1つの色ではない髪の毛の色に、とても魅力を感じていました。
「もっと色について学びたい」
そう思っていたとき、電車の広告で知ったのが「色彩検定」でした。
当時は第1回目の試験。さっそく受験することにしました。
周りは学生なんか居なくて、教授のような雰囲気の人たちばかり(笑)。
それでも挑戦し、半年後には2級にも合格しました。
すると、その話を聞きつけた担任の先生が、学校でも色彩検定を取り入れようと言い出し、僕が講師を務めることに。
入学して3日目には「辞めるなら今だよ」と言っていた先生が、まさか自分に教える役割を任せるとは(笑)。
この経験を通して、自分が動くことで、周りも変わっていくんだと学びました。
さらに、メーカー主催のコンテストにも挑戦しました。
取り組んだのは「ホイルワーク」。アルミホイルを使って髪を分けながら染める技術で、今でいうメッシュやハイライトにつながる技術です。
当時は学生と美容師が分けられていない大会でしたが、結果はベスト3入り。
不器用さに悩んでいた自分にとって、大きな自信につながりました。
色彩検定への挑戦と、コンテストでの入賞。
最初は美容師への憧れだけで飛び込んだ世界でしたが、少しずつ自分の得意なことや、夢中になれる分野が見えてきた時期だったと思います。
憧れの美容室への就職活動・そして、思いがけない入院
美容学校で色彩を学び、コンテストにも挑戦する。
少しずつ自分の得意なことが見えてきて、美容師として働く未来も具体的になってきました。
就職先として目指していたのは、憧れの美容室。
ところが、就職活動は思うようにはいきませんでした。
当時は美容師ブーム。人気のある美容室には応募が集中し、就職することが簡単ではない時代でした。
それでも、憧れのお店で働きたい。
そんな思いで就職活動をしていました。
しかし、ここで思いがけない問題が起こります。
以前から悩まされていたアレルギー性鼻炎が悪化してしまったのです。
そして、約2か月間の入院生活。
手術も2回受けることになりました。
美容師としてのスタートを目前にして、まさかこんなことになるとは思ってもいませんでした。
さらに、卒業後には骨を矯正するための手術も必要になりました。
そのため、予定していた4月からの就職は断念することに。
目指すのは、6月からのスタート。
周りが新しい生活を始めていく中、自分はまず身体を治すことから始めなければなりませんでした。
美容師になると決めて、ここまで進んできた道。
思いどおりにいかないこともある。
まぁ仕方がないと楽観的でした。
財布を盗まれたロンドン・パリ研修。そして、母から聞いた名前の秘密。
美容学校時代、海外研修でロンドン・パリへ行きました。
といっても、終日自由行動!
「せっかくだから、たくさん買い物してやる!」
この日のためにアルバイトも多めに入れて、お金を貯めていました。
好きなブランドもあったので、もう意気込みが違います(笑)。
ところが、事件は2日目に起こります。
財布をスラれましたww
まったく気づかなかった……。
日本ってすごいんだな。掏摸(スリ)ってすごいんだな、と妙に感心したのを覚えています(笑)。
でも、そんなに落ち込むこともなく、研修は楽しく過ごせました!
やはり多くの人種が集まる海外では多様な髪があり、かっこよく見えました。
そして、美容学校生活も終盤へ。
国家試験の感想は……正直、簡単でしたね。
全日制の専門学校に通っていれば、合格率は95%ほど。
過去問と実技を鬼のように繰り返し練習するので、ちゃんと学校に通ってやることをやっていれば受かる、という感覚でした。
そして迎えた、美容学生の成人式。
これがまた、普通の成人式とは違ったオシャレさがあるんです。
みんな個性があって、それぞれのこだわりがあって、また違った派手さがありました。
僕は、黄緑色の袴!
卒業式にも同じ袴を着ました(笑)。
そんな成人をむかえた日、母にありがとうを報告すると、
「20年早いなー。実は、一つ言おうと決めていたことがあるんだよ」
と。
そして、まさかの一言。
「あんたの名前はね、ほんとは初恋の人の名前なんだよ」
へっ⁉️
知らんわ(笑)。
しかも、数学の先生ってww
妙に僕には優しかったもんなー。
「あきちゃん」なんて呼んで。
ふーん、そうかそうか(笑)。
まさか自分の名前に、そんな秘密があったとは。
そして、卒業式にもいろいろありまして……。
母がクラスメイトに謝ることになりました(笑)。
これは書けませんw
聞いていただければお答えします。
こうして、楽しかった美容学校生活も終わりを迎えます。
みんながそれぞれの道へ羽ばたいていく中、僕は4月からの就職を断念し、6月からの就職を目指して入院することになります……。
「辞めるなら今だよ」から始まった、美容師としての下積み時代
就職した美容室は、今では大手となった会社でした。
当時は今と違って中途入社がほとんどない時代。友達が働いていたお店に事情を説明してもらい、なんとか就職させていただくことになりました。
勤務地は家から一番近い店舗。そこが、たまたま本店でした。
当時の僕は、美容学生時代はお互いの髪を切ったり染めたりするわけで、美容室にお客さんとして行った経験も数えるほど。
そんな自分が、いきなり美容師として働くことになったのです。
当然、ビビりまくりでした(笑)。
お店は螺旋階段のある3階建て。スタッフは約30人、毎日100人以上のお客様が来店する、まさに売れっ子のマンモス店でした。
下町にありながら、その活気と売り上げは原宿や青山の有名店にも負けないほど。
そんな環境で、美容師としての生活が始まりました。
同期は5人いましたが、入社時期がたった2か月違うだけでも、技術や仕事への慣れには大きな差がありました。
当時の美容業界は職人肌で、上下関係も厳しい時代。
そして、入社3日目。
また、あの言葉が飛んできます。
「君、辞めるなら今だよ」
……出た!
美容学校に入学して3日目にも言われた、あの言葉です。
でも、今度は違いました。
「5倍やればいいんでしょ!」
悔しさが、そのまま原動力になりました。
朝7時から朝練。営業が終わってからも終電までレッスン。
当時はみんながそうやって練習していました。
だからこそ、少しでも周りに認めてもらいたい。出る杭になりたい。
自分から声を出し、「シャンプーさせてください!」とお願いして、少しでも仕事を任せてもらえるように動きました。
当時はカリスマ美容師ブーム。アシスタントは掃いて捨てるほどいるので、「明日はもう来なくていいよ」と言われることも珍しくありませんでした。
朝から晩まで駅前でチラシを配り、ちょこちょこサボりも見つかりそのたびに叱られましたw
営業中お客様のパーマを巻けなくて、面倒見てくれていた先輩と朝までお店に泊まり込んだこともあります。
もちろん、苦しいことばかりではありません。
みんなで目標を達成したときの一体感は格別でした。
努力した分だけ少しずつカリキュラムが進み、気づけば同期にも追いついていました。
そして後輩が4人入ってきます。
競争はさらに激しくなり、ときには非常階段で手が出るほどの口論になることも(笑)。
それだけ、みんな本気だったんです。
朝まで飲んで、カラオケで発散して。それでも翌朝には、また無心でレッスンする。
今では考えられないようなことも含めて、あの頃はとにかく濃密な毎日でした。
少しでも気を抜けば、今すぐにでも「辞める」と言ってしまいそうなギリギリの状態。1人であればとっくにその糸は切れていました…
もう二度と経験したくはありません。
でも、今振り返ると、自分にとって必要な時間だったと思います。
通常5年かかるといわれていたスタイリストデビューを、僕は2年半で迎えることができました。
あのときの悔しさも、失敗も、叱られた経験も、すべてがそこにつながっていたのかもしれません。
改善美容から予防美容へ。僕が目指す美容師のかたち
僕には、スタイリストになったら取り組みたいと決めていたことがありました。
それは、学生時代にハワイで見た女性の、ナチュラルな美しさを表現すること。
あのとき目を奪われた、まるで生まれつきその髪色だったかのような自然な美しさ。
当時は、今のような「外国人風カラー」という考え方はまだ一般的ではありませんでした。
髪全体を一色に染めた茶色い髪や、ホイルワークを使った、いわゆるメッシュのようにコントラストがはっきりしたカラーが中心。
僕が目指したかったのは、もっと自然な仕上がりでした。
髪の中にさまざまな色が溶け込み、もともとその髪色で生まれてきたかのように見えること。
その表現に必要なホイルワークには、学生時代から取り組んでいたので、自信もありました。
美容師になってからは、さらに深く勉強し、自分の武器にしていこうと考えていました。
ただ、当時は縮毛矯正が流行していた時代。
僕が目指していたようなカラーリングをする人は、世の中にも、勤めていたお店にも、ほとんどいませんでした。
それでもモデルを呼び、少しずつ技術を磨き、提案を続けました。
1年、2年と時間が経つにつれて、少しずつ認知され、お客様も増えていきました。
自分の好きなことを追求し、それが誰かに必要とされる。
その手応えは、僕にとって大きな喜びでした。
10年間、店長として走り続けた日々
そんな頃、当時の店長が独立することになりました。
そして僕に、店長にならないかと声をかけてくれたのです。
答えは、「やらせてください!」
周りには、自分より年齢も美容師歴も上の先輩ばかり。
営業だけでなく、経営や教育まで、すべてを見なければなりません。
何もできないけれど仕事は一気に増えました。
経験も未熟で、先輩には話なんて聞いてもらえません(笑)。
だからこそ、結果を出すしかない。
そんな気持ちで働き続け、気づけば年間360日くらい働いていたと思います。
忙しく、厳しい毎日でしたが、たくさんのお客様に支持していただき、充実した時間でもありました。
自分が追求してきた技術で喜んでいただけること。
お店を任され、スタッフと一緒に働くこと。
当時の自分なりに、精いっぱい走り続けていました。
忙しさの先で、見えてきた違和感
ところが、忙しくなればなるほど、少しずつ疑問を感じるようになりました。
たくさんのお客様を同時に担当する働き方に、本当にこれでいいのだろうか、と。
もっと深くお悩みを聞きたいのに、十分に聞く時間がない。
本当は解決したいことがあるのに、次回に持ち越してしまう。
「こうしたら、もっと素敵になりますよ」と伝えたいのに、その時間さえ取れない。
目の前のお客様をきれいにすることには変わりありません。
それでも、忙しさに追われるうちに、少しずつ自分がなりたかった美容師像から離れているように感じていました。
さらに、管理職になると、以前のように自分自身が鏡の前に立ち、技術を磨く時間も減っていきます。
そこで、10年間勤めたお店を辞め、新しい店舗へ移ることを決めました。
たくさんのお客様とお別れすることには、もちろん悩みました。
それでも、自分の働く環境を一度整理したいという気持ちのほうが強くなっていました。
新しい環境に求めた条件は、意外にもシンプルでした。
「普通のスタイリストでいたい」
経営や管理に追われるのではなく、一人ひとりのお客様に寄り添い、目の前の髪としっかり向き合える美容師でいたかったのです。
今だけではなく、未来の髪まで考える
現在は、完全なマンツーマン体制ではありませんが、お客様のお話をできるだけ多く聞ける営業をしています。
特にご相談を受けることが多いのは、30代後半以降のお客様。
初めて白髪が気になり始めた方。
以前は気にならなかったうねりが出てきた方。
髪が多くて扱いにくい方もいれば、反対に、髪が細くなってきたと感じる方もいます。
年齢とともに髪の悩みは変化します。
これまで多くのお客様と向き合う中で、僕は「今さえきれいならいい」という考え方だけでは、いつか行き止まりが来てしまうことを実感してきました。
その場の仕上がりだけを優先して、髪への負担を重ねてしまえば、数年後にできることが限られてしまうかもしれません。
だからこそ、今の髪をきれいにすることと同時に、3年後、5年後、10年後の髪を考えることが大切だと思っています。
髪は、人生の最後まで付き合っていくものです。
今の悩みを改善するだけでなく、これから起こる変化を見据え、できるだけ良い状態を保てるように施術する。
僕が大切にしているのは、そんな考え方です。
改善美容から、予防美容へ。
今ある悩みを解決するだけで終わらない。
これから先も、自分の髪を好きでいられるように。
それが、これまでの経験を経て、僕が目指している美容師のかたちです。
カットは何においてもベースである
美容師として、もう一つ大切にしていることがあります。
それは、カットです。
カラーリングをする方も、パーマをかける方も、髪が長い方も短い方も、ヘアスタイルをつくるうえで、カットは絶対的な技術です。
髪の形がきちんと整っていなければ、デザインがよく見えないだけでなく、毎日の扱いやすさや、ご自宅での再現性にも影響します。
美容師によって、カットの考え方も技法もさまざまです。僕は、そのどれもが間違いだとは思っていません。
大切なのは、その技法が目の前のお客様の髪質に合っているかどうか。
同じ切り方でも、髪質が違えば仕上がりも変わります。だからこそ、髪の状態を見極め、その人に合ったカットを選ぶことが大切だと考えています。
そして、僕がカットで特に大切にしているのが、**「なくすことでなく、残すこと」**です。
カットというと、「どれくらい切りますか?」という会話を思い浮かべるかもしれません。
でも僕は「どれくらい残しますか?」という視点が大切だと思っています。
結果同じ事なのかもしれませんが考え方のベクトルは違います。
髪を軽くすれば、必ず扱いやすくなるわけではありません。
必要以上に髪をすいたり、毛量を減らしすぎたりすると、髪の厚みが失われ、ハリやコシまで感じにくくなることがあります。
特に、年齢とともに髪の変化を感じている方にとって、髪の厚みや力強さは大切な要素です。
だからこそ、ただ軽くするのではなく、必要な厚みを残す。髪が本来持っている力を生かしながら、形を整えていく。
髪が髪をまとめる
それが、僕のカットに対する考え方です。
現在〜未来の髪を、一緒に考える美容師として
僕は40歳を過ぎて、髪や身体の変化に気づきました。
というより、気づいてはいたけれど、見ないフリができなくなった。そんな表現のほうが正しいかもしれません(笑)。
● 髪にボリュームがなくなった。
● 身体が重力に逆らえなくなった。
● 「調子がいい!」と感じる日が少なくなった。
美容師ですから、髪のことはわかります。
でも、髪について深く追求していくと、髪だけではなく、全身のことも考え、努力していかなければならないという結論にたどり着きました。
僕が髪にとって大切だと考えているのは、「豊かさ」です。
頭頂部のボリューム。
後頭部の奥行き。
整った面が生み出す艶やかさ。
そして、1本1本の髪が持つハリ・コシと、その力強さ。
どれか一つだけではなく、どれも欠かすことのできない大切な要素です。
そのために、美容師が学び、プロとしてお手伝いできることがあります。
一方で、お客様自身が学び、毎日の生活の中で実践していただくこともあります。
美容師とお客様、双方が協力し合い、未来をより良いものに変えていく。
今の美しさを保ち、育てていくためには、どちらか一方が頑張るだけでは難しいと考えています。
プロによる施術と、毎日のホームケア。
その両方があってこそ、未来の髪につながっていくのです。
ダメージしてから直す「改善美容」から、ダメージをできるだけ防ぐ「予防美容」へ。
30代後半から変化し続ける頭皮環境や、年齢とともに変わってくる「似合う」ヘアスタイル。
その変化を一緒に考え、一緒に創っていく。
そんな想いを持って、日々美容師をしています。
髪をきっかけに、自分自身を大切にする
髪を大切にするために、もう一つ大切なことがあります。
それは、自分の髪に興味を持っていただくことです。
もともと髪に興味があり、日頃からヘアケアをされている方は、正しい知識を身につけることで、さらに自分の髪をきれいにしていけると思います。
一方で、今まで自分の髪についてあまり考えたことがなかった方にも、髪のことやヘアケアについて知ることで、少しでも興味を持っていただきたい。
自分の髪を知り、少しずつ大切にし始めると、もっと大切にしていきたいという気持ちも生まれてくると思うんです。
そして、その気持ちは毎日のホームケアだけでなく、身体のことや日々の生活習慣にも目を向けるきっかけになるかもしれません。
美容について知ることは、ただ新しい知識を増やすことだけではありません。
今まで知らなかったこと。正しいと思っていたけれど、実は違っていたこと。必要だと思っていたけれど、今の自分には必要のないこと。そして、今はまだ必要なくても、これから先のために知っておきたいこと。
そうした知識を一つずつ身につけていくことで、自分に必要なケアを考え、自分自身で選べるようになっていきます。
僕は、美容師として髪をきれいにするだけでなく、そうした気づきのきっかけも届けていきたいと思っています。
そして、髪を大切にすることは、自分自身を大切にすることにもつながると考えています。
自分の髪に興味を持ち、知識を身につけ、少しずつ手をかけていく。その積み重ねは、自分自身を知り、育み、これからの自分をもっと好きになることにもつながっていくのではないでしょうか。
僕が大切にしたいのは、**「自分を育み、自分を推し活する」**という考え方です。
誰かを応援するように、自分自身にも目を向けてみる。
年齢を重ねることを、ただ衰えていくこととして捉えるのではなく、今の自分にできることを知り、これからの自分を楽しみにする。
髪をきっかけに、自分自身にも興味を持ち、今よりもっと自分を大切にできるようになる。
そんな気持ちの変化も、美容が届けられる価値の一つだと思っています。
髪をきれいにすることから始まる、自分自身の新しい発見。
そのきっかけを、これからも美容師として届けていきたいと思っています。
keep tryin’
これからも、自分らしく、前向きに。
僕が大切にしたいのは、長く健康でいることです。
健康とは、身体が元気であることだけではありません。
心も健やかで、前向きな気持ちで毎日を過ごせること。
そして、清潔感もまた、外見だけでなく、内面からにじみ出るものを含めて考えたいと思っています。
活動的で、誰かのために行動できる自分でいること。
新しいことに興味を持ち、前向きに取り組める自分でいること。
そんな自分を維持していくためには、身体と心の両方を大切にしていく必要があると思います。
そして、そのために髪や美容が果たす役割は、決して小さくありません。
髪が整うことで気持ちが明るくなったり、外と交流することが楽しみになったり、自分に少し自信が持てたりする。
美容には、そんなふうに気持ちを前向きにする力があると感じています。
それは、年齢や性別に関係なく、大切なことです。
美容を通じて、自分自身を大切にし、これからの毎日をより豊かに過ごしていただきたい。
そんな想いを持って、これからも一人ひとりの髪と向き合っていきます。
髪や頭皮のお悩み、一緒に考えてみませんか?
白髪、うねり、ボリュームの変化。
年齢とともに変わっていく髪や頭皮のお悩み。
気になっていることがあっても、何から始めたらいいのかわからないこともあると思います。
今の髪の状態を知ること。自分に合ったケアを知ること。
その小さな一歩が、これからの髪を大切にするきっかけになるかもしれません。
一人で悩まず、まずはお気軽にご相談ください。
髪や頭皮のお悩みは、LINEからご相談いただけます。
これから先も、自分の髪を好きでいられるように。
皆様の未来の髪づくりをお手伝いできることを、楽しみにしております。